ロングカウントはわかっていた
- H. Inoue
- 2021年2月17日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年3月31日
1990年2月11日、東京ドーム。「プロスポーツ史上最大の番狂わせ」につながる大きな一因となったレフェリーのロングカウント? をめぐる、31年後の妄想、そして回想――
下里 淳一
Junichi Shimozato
わかっていたさ
わかっていたさ、感じていたよ、カウントが長いかなって。
試合続行が可能かどうか、倒れた相手の様子を注視しながら規定通りにカウントをした。倒した相手を背中で制しながら、倒された相手のまぢかにしゃがんで、ダメージの度合いを測りながら、目を見て、呼吸を聞いて、指を立て、声をあげて、数を数えた。
どっかで、なんかわかんないが、時を稼ごうとしていた。8秒を6秒に、10秒を8秒に、12秒を9秒にしようとしていた。
わかんないんだ、なんでそんなふうにしようとしたのか。
倒された相手は立ち上がろうとしていて、実際立ち上がったんだが、カウントアウトでもおかしくはなかった。"NO"と言って手を振っておしまいでもよかった。

だけど、ここで終わりにしたらいけない。たしかにカウントは10に届いていたかもしれない。だけど、だけどなんだ。ルールの矩(のり)を越えても、ここは続けるべきだと、内なる声がしたのか、神のお告げがあったのか、それもわからない。気づいたら体が勝手にファイトを命じていたんだ。
べつにダグラスを応援してたわけじゃない、タイソンが嫌いなわけじゃない。どっちがどうだってわけじゃない。ただ、ラウンドが進むにつれて、東京ドームがとんでもない時間に変わっていって、8ラウンドの逆転のダウン、だけどここで終わりじゃない、まだ続きがあると、ボクシングの神様が言っていたのか、もちろんそんなこともわからないけどね。
引退したタイソンが、敗れたにもかかわらず、この試合が一番いいと言っていたので、ちょっとほっとしたよ。
[以上、妄想・談]
あれは31年前…
6ラウンドあたりだったかなあ、友人と二人でテレビ観戦していて、タイソン負けだなあとオレはつぶやいたのを覚えている。日本人ジャッジは9ラウンドまでタイソンを支持していたんだよなあ。
1990年2月11日、いろんな人のいろんな思いが渦巻いた試合だったんだねえ。もう31年も前かよ。
昨年11月のロイ・ジョーンズ・ジュニアとのエキシビションは懐かしくも新鮮だった。
恩師ダマトはどんな思いでタイソンを見続けてきたんだろうか。
2021.02.17
Photo : H.Inoue
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