「好敵手」を特集する雑誌で取り上げられた《辰吉丈一郎と鬼塚勝也》。ページをめくりながら、1990年代当時と、個性ある2人のスター選手を、今あらためて思い返す――
下里 淳一
Junichi Shimozato
好敵手_辰吉
『昭和50年男』3月号、読みました。いろんな分野の好敵手特集。
ボクシングでは、辰吉丈一郎と鬼塚勝也を紹介。
拳を交えることはついになかったが、目の前のハードルをそれぞれが越えた先には夢の対戦が現実として控えていたこと、僕は今の今まで知らなかった。知っていたら、両雄への思いもどこか変わっていたかもしれない。
おなじ時間に、ちがう時間でも、おなじ場所に、居合わせたのなら、逢いたい、逢わせたい。仮想対決やパウンド・フォー・パウンドが人情たるゆえんだ。
両雄についてそれぞれピックアップしている「この一戦」として、辰吉のほうでは、グレグ・リチャードソン戦を挙げている。
その理由がいい。「無限の可能性を感じ」て、「まぶしい」と。いいねえ。リングに光があふれていた。
さらに、嵐の中、この試合を見るために、途中止まるかもしれない新幹線で大阪へ向かったという筆者の私的事情を明かしている。こういうわずかな文面に心が止まって、そういえばオレはそのときどうしていたんだっけと振り返ったりする。
やっと仕事が終わって帰るつもりが、試合が始まるので、自宅にテレビ録画はしてあったけど、ひとり会社のテレビを見ていた。そこへ夜勤のSさんが現れて、ふだんおとなしい人が、若き日本人ボクサーへ「行け、行け」と、くぐもった声を幾度も発していた。
好敵手_鬼塚
いっぽう鬼塚のほうでは、アルマンド・カストロ戦。
1R、いきなりのピンチは言われれば思い出すが、総じて印象は薄い。
最後の試合で敗れたとき、ああ、だけどこの韓国人ボクサーよりも鬼塚のほうがほんとは強いなあと、なんの根拠があったのか、思ったものだが、引退を知って、ボクサー鬼塚勝也にクライマックスは訪れなかったと、僕は走り書きをしていた。
僕には鬼塚のボクシングがつまらなかった。判定勝利の世界戦は、その日のうちに2度3度見返した。空振りが目立って歯がゆかった。
勝ち負けよりも、シャープで強靭な場面を見たかった。ロープに釘付けになったラストシーンにそれをかいま見たかもしれないが、わからない。
僕には多くがわからないまま、鬼塚勝也はリングを降りていった。
2021.03.06
Photo : H.Inoue
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