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FOUR Kings, FOUR Decades

更新日:2020年7月9日

1980年6月20日、カナダ・モントリオール。のちに計9試合を闘い合うことになる「FOUR KINGS」…の最初の試合は40年前のこの日、ロベルト・デュランがシュガー・レイ・レナードを破った一戦だった。

井上 博雅

Hiromasa Inoue


Opening Bell

 WHERE IT ALL BEGAN――このときに触れた『FOUR KINGS』の最初のページをめくると、設営準備が進む、カナダ・モントリオールのオリンピック・スタジアムのモノクロ写真が「OPENING SHOT」として、掲載されている。


 4年前の1976年、この地で行われたオリンピックで金メダルを獲得、プロに転向しWBCウェルター級タイトルを前年に獲得していた、シュガー・レイ・レナード。


 そしてライト級タイトルを統一、エステバン・デ・ヘススとのラバーマッチも制し、満を持して階級を上げてきた、「石の拳」ロベルト・デュラン。


 無敗王者レナードがデュランの挑戦を受けたこの一戦を皮切りに、トーマス・ハーンズ、マービン・ハグラーをまじえた《FOUR KINGS》で、のちに計9試合を闘い合うことになる。


 2013年に企画・刊行した『HANDS OF STONE The Life and Legend of ROBERTO DURAN』の翻訳書を編集している際、このときのレナードが雰囲気にのまれた状態だったことを知った。


ロベルト・デュラン“石の拳”一代記(白夜書房)

 ちょっと意外だった。金メダリストとしてエリート街道をまっすぐ進み、たくさんの人に注目されることには慣れていたであろう男が…


 実際、デュランの荒々しさに気圧される試合展開。15ラウンドを闘い抜き、スコア上では僅差だったが、デュランの完勝といえる内容だった。


最初と最後

 試合終了直後の両者の様子も、また印象深い。


 自身の勝利を確信しアピールするデュランと、敗北を覚悟した表情ながらも同じように両手を上げたレナード。健闘を讃え合おうとしたレナードに、デュランは「“失せろ、クソ野郎! お前には何の価値もないとわかっただろう!!”と言ってやった」そうで、エキサイトしまくっている。


 スコア、判定を読み上げるリングアナウンサーが持つメモを背後から”カンニング”しようとするデュランのチーフトレーナー、レイ・アーセルの挙動と、隠そうとするリングアナのやり取りも、ちょっとコミカルでおかしい。


 5カ月後のリターンマッチで起こる「“NO MAS”事件」は、今も真相不明。

 4選手間の対戦におけるデュランの勝利はこの日のレナード戦だけで、この2人のラバーマッチが「リーグ戦」の最終カードとなる…という結果が出るのは、この対決から9年後、80年代が終わる直前だった。


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※記事をアップしようとしたとき「デュランが新型コロナウイルス陽性反応」というショッキング報道を目にして、少しばかりうろたえた。今のところ重症ではないようだけど…悪化しないことを祈るばかり。

2020.06.26

art direction & design : Shigeru Ando, Ando Design Office


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