1980年6月20日、カナダ・モントリオール。のちに計9試合を闘い合うことになる「FOUR KINGS」…の最初の試合は40年前のこの日、ロベルト・デュランがシュガー・レイ・レナードを破った一戦だった。
井上 博雅
Hiromasa Inoue
Opening Bell
WHERE IT ALL BEGAN――このときに触れた『FOUR KINGS』の最初のページをめくると、設営準備が進む、カナダ・モントリオールのオリンピック・スタジアムのモノクロ写真が「OPENING SHOT」として、掲載されている。
4年前の1976年、この地で行われたオリンピックで金メダルを獲得、プロに転向しWBCウェルター級タイトルを前年に獲得していた、シュガー・レイ・レナード。
そしてライト級タイトルを統一、エステバン・デ・ヘススとのラバーマッチも制し、満を持して階級を上げてきた、「石の拳」ロベルト・デュラン。
無敗王者レナードがデュランの挑戦を受けたこの一戦を皮切りに、トーマス・ハーンズ、マービン・ハグラーをまじえた《FOUR KINGS》で、のちに計9試合を闘い合うことになる。
2013年に企画・刊行した『HANDS OF STONE The Life and Legend of ROBERTO DURAN』の翻訳書を編集している際、このときのレナードが雰囲気にのまれた状態だったことを知った。
ちょっと意外だった。金メダリストとしてエリート街道をまっすぐ進み、たくさんの人に注目されることには慣れていたであろう男が…
実際、デュランの荒々しさに気圧される試合展開。15ラウンドを闘い抜き、スコア上では僅差だったが、デュランの完勝といえる内容だった。
最初と最後
試合終了直後の両者の様子も、また印象深い。
自身の勝利を確信しアピールするデュランと、敗北を覚悟した表情ながらも同じように両手を上げたレナード。健闘を讃え合おうとしたレナードに、デュランは「“失せろ、クソ野郎! お前には何の価値もないとわかっただろう!!”と言ってやった」そうで、エキサイトしまくっている。
スコア、判定を読み上げるリングアナウンサーが持つメモを背後から”カンニング”しようとするデュランのチーフトレーナー、レイ・アーセルの挙動と、隠そうとするリングアナのやり取りも、ちょっとコミカルでおかしい。
5カ月後のリターンマッチで起こる「“NO MAS”事件」は、今も真相不明。
4選手間の対戦におけるデュランの勝利はこの日のレナード戦だけで、この2人のラバーマッチが「リーグ戦」の最終カードとなる…という結果が出るのは、この対決から9年後、80年代が終わる直前だった。
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※記事をアップしようとしたとき「デュランが新型コロナウイルス陽性反応」というショッキング報道を目にして、少しばかりうろたえた。今のところ重症ではないようだけど…悪化しないことを祈るばかり。
2020.06.26
art direction & design : Shigeru Ando, Ando Design Office
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