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夢想再録《辰吉丈一郎vs鬼塚勝也》#2

更新日:2021年3月31日

当サイト編集人が以前在籍していた出版社のサイトに載せ、わりと真剣? に企画編集(夢想・妄想)した一作が、いつ閉鎖されてしまうかわからない状態であることを思い出し、再録することに。今回は第2章[全6章]―――

夏野 澤夫

Sawao Natsuno


第1章

第2章 裏 方

 2週間後、的場は上司の金子三郎に呼ばれた。上司といっても5つ年下の部長である。


「どうぞここへ、隣へ掛けてください」


 金銭のことではないかと思った。賞与や退職金の減額を示唆されるのではないか。日はとうに暮れて、8階会議室の大窓の外には、遠くの灯と冬の夜空がある。


「的場さん、実はお願いがあります」


 的場は黙って、金子の顔色をうかがった。


「鬼塚・辰吉戦のことです。実況をお願いしたい」


「実況って、つまりその…うちで放送するということですか?」


「そうです」


「そうですか、よく取りましたね。試合をするというだけであとは何も情報がないもんで、やきもきしてはいたんですが、そうですか、うちでやるんですか」


「そうです」


「そうですか、まあ何はともあれ、おめでとうございます。でも、実況は勘弁してください。そんな大役、荷が重すぎます」


「いや、むしろ私は、的場さん、あなたには役不足と思っているくらいです」


「何をおっしゃるんです。あと半年で定年の身ですよ。いきのいい若い人にやってもらうべきです。最後に花を持たせてやろうというお心遣いなら無用です」


「的場さん、違いますよ。私は、そんな温情のある人間じゃありません。浪花節で商売やろうとは思っていません。適材適所、それだけです」


「でしたらなおのこと、私の出る幕ではありません」


 辣腕で鳴る金子はふっと立ち上がると窓へ歩み寄って、空を仰いだ。振り返って、一瞬ドアの向こうの気配をさぐる様子を見せてから、ふたたび腰をおろして声をひそめた。


「的場さん、実は破天荒なことになりそうなんですよ」


 放映権の折り合いがどうしてもつかず、入札の話も出たが、ボクシングを愛好する者同士として、結局、放送はゴールデン枠2時間をとって、2局同時で行うことになった。選挙の街頭演説の鉢合わせみたいなことになるかもしれないと、金子は笑った。


「正月ですからね。各局とも特番を並べてきます。そこへぶつけるんですから、内外の批判は大きいでしょう。スポンサーがどれだけ集まるか、ここ2カ月、関係者には極秘で奔走してもらいました。どうにかメドがついたんで…というか、こちらの思わくを上回る賛同をいただきました。あとはこれを公表して、まあバッシングをかわしながら当日を待つこと、選手にはいい試合をしてもらうこと。そのために試合当日リングに上がるまでは、彼ら2人を守ります。ここは向こうさんとも協定結んでいます。協力するところはしっかり手を結ぶ、競うところは競う、ビジネスですからね。そしてまあ、最後は視聴率なんでしょうけどね」


 的場は、この間の不可解な記者会見を思い出した。


「本当はすべての手配がついてからと考えていたんですけれどね、関係者には当然箝口令はしいたんですが、めざとい者に嗅ぎ付けられましてね、で、まああんなくだらん号外やら会見やらをやらざるをえなかったんですが、鬼塚辰吉といえばね、まあ話が話だけに、漏れるのも致し方なかったのかもしれません」


 的場は事の大きさに言葉が出なかった。


「実を言いますとね、この半年余り、ひやひやのし通しでした。今回の企画で我々の力の及ばないことがふたつありました」


「と言いますと…」



「ひとつは辰吉君の体、網膜剥離が完全治癒するのかということ。気持ちは、辰吉君は初めからリング復帰ですからいいんですが、体の方がね、どうかということでした」


「そうですね」



「もうひとつは鬼塚君のね、この間のタノムサク戦。あれに負けていたら、すべてが白紙になるところでした」



 金子は安堵の笑みを見せた。それから坐ったままで、そびらを返して、また窓外を振り仰いだ。


 

「的場さんは星のことは詳しいですか」


「星、ですか」


「そうです、夜空の星です」


「いえ」


「私も天文はだめなんですが、それにしてもあのオリオン座っていうのは派手な星座ですよね。私は子供の頃からあれが凧に見えて仕方がなかった。誰かが夜中に大凧をあげていると、よく思ったものです」


「はあ」


「そのオリオン座の一角、左上の赤い星、ベテルギウスというんだそうですが、太陽の数十倍か数百倍か忘れましたが、ともかく大きな星だそうです。大き過ぎるために安定を欠いて、数百年ごとに形を変えるそうです。肉眼で見るぶんにはただの赤い星ですけどね。その星が、このごろ妙に鬼塚君と重なって見えましてね。なにやらスキャンダラスな匂いがするんですよ」


「はあ」


「オリオン座の下に青白く光る明るい星があるんですが、シリウスといって、地球から見える星の中で一番明るいものだそうです。その星が、辰吉君に見えるせいでしょうかね」


「はあ」


「その2つがぶつかれば、なんてことはありえないんですけど、両方つぶれるか、片方がつぶされるか、たとえ残ったにしてもかなりの痛手を負うんじゃないか。試合そのもののダメージだけじゃなくて、そのほかの、われわれには及びもつかないところでのダメージも残るんじゃないか。それをあえてぶつけようという企画です。せっかく現れたスターをわざわざぶつけて潰しあう。当然われわれもリスクを負ってしかるべきで」


「はあ」


「いや、的場さん、あなたに責任の一端を負っていただくなんてことは一切ありません。やるからにはクビをかけているんだろうなと、まあ上からは言われてますけど、覚悟の前と気取っています」


「はあ」


「マスメディアは大衆に迎合しないとやっていけません。新聞テレビは特にそうです。迎合していることを大衆に意識させないで、迎合しなくてはならない。安直な正義や悪ふざけがはびこる所以です」


「はあ」


「それでも、一度くらいは、一切のおもねりを棄てて、やりたいことをやってみたい、マスコミに携わる者は、すべてとは言いませんが、そう思っているはずですよ。できる時にやってみたい」


「はあ」


「同じ時代に近くで、近くでというのはバンタム、ジュニアバンタムという階級のことと、われわれのすぐそばでということの両方の意味でですが、2つの星が輝くなんてことは、もう私にはないと思います」


「はあ」


「私も年が明ければ52になります。的場さんには敵わないけれど、ボクシングをずっと見てきました。街頭テレビが懐かしいと、この頃しきりに思うようになりました。あの頃、昭和40年代までは、みんな食い入るように、こう、せりだしてボクシングを見ていたように思います。当時のテープを見ると、リング越しの観客の様子が今とは明らかに違う。ファッションが違うだけだと言う人もいますけど」


「はあ」


「江戸の昔、富くじの当日には当りを見守る庶民の熱気で、富札を入れた箱の中の札が動いた、なんていう落語がありますが、鬼塚君と辰吉君なら何かを動かすかもしれない」


「はあ」


「時代の趨勢と言ってしまえばそれまでなんですが、結果を急いて求めて安心してしまう風潮が、私は面白くないんですよ」


「はあ」


「実はこの間も若い子に怒ったんですよ」


「はあ」


「お前いつから教師になったんだとね。的場さん、われわれの頃は人生教師になるなかれと教わってきたもんですけどね。それが今やアナウンサーがキャスターと名を変えて説教するようになった」


「はあ」


「気にいらないんですよ。説教たれる分際か。高みの安全地帯に身をおいてモノを言うな、とね。何を怒られているのか彼らはわからない。説教じゃない説明だと、やりかえされたりします」


「はあ」


「紙と鉛筆しか知らない人に、目先の白黒を論じられたらかなわない、任せるわけにはいかない。的場さん、あなたにはアナウンサーとして、生活に裏打ちされた庶民の感情で、実況をお願いしたいんです」


「いや、ほんと私には荷が重すぎます」


「解説は白井具志堅です。彼らにうまいこと水を向けてほしいんです。リングに上がった者にしかわからない、頂点を極めた者にしかわからない生の声を、一つでも二つでもいい、引き出してほしいんです。無理に念を押させるような発言を求めずに、彼らの正直な思いをここぞという場面で拾ってほしいんです。リングの上からボクサーがその都度教えてはくれませんからね。素人の視線で実況をコントロールしてほしいんです。左は世界を制すだとか、ジャブというよりストレートとか、黄金のバンタムとか、そんなフレーズの言いっぱなしはだめです。解説がそんなことを言ったら、具体的な説明を求めてください。マニアやファンだけが見ているわけではありません。その他大勢が見るんです。マニアやファンは餌をまかなくても食いついてくれますが、その他大勢は餌をまいても見向きもしてくれません。それをぐいと向けさせなければなりません。お屠蘇気分の一般大衆をどうやって引き込むか」


 的場は考え込んだ。


「困ることの一つに、採点がありますね。応援する選手の旗色が悪くなると、解説者も困ります。今回はこれを解消します」


「と言いますと…」


「ラウンドごとに正式判定を伝えます」


「そんなことできますか?」


「マービン・ハグラーとロベルト・デュランがやったとき、これをやってました。観客にはオーロラビジョンで公表します。テレビは画面の上、左右に前のラウンドのそれぞれの採点を示します」


「ほんとにそんなことができますか」


「できます。いえ、やるんです」


「そうですか」


「これによって試合がかえって混乱すると恐れるむきもありますが、鬼塚君も辰吉君も、スター選手です。試合を中断してどうのこうのとはならないでしょう。仮になったらなったで、それはそのときです。まして鬼塚君は疑惑判定で叩かれてきたチャンピオンです。逆に注目度が高まるでしょうし、本人にとってもいいと思います」


「思いきったことをやりますね」


「まだあります。夜7時からの2時間枠ですが、試合開始は8時前です。頭の30分はドキュメント構成になりますが、ここでCMを多く入れます。実はここの30分で視聴者が逃げてしまうことが恐いんですが、まあ、テンポがあって斬新なものをやるよう指示は出しています。CMはスポンサー契約上やむを得ません。そのかわり選手紹介のあとのCMは入れません。両者がリングに上がって1ラウンド終了のゴングを聞くまでの間はCMを挟みません。スポンサーには申し訳ないが、ここでCMに遮断されたくありません。的場さん、何が興奮するかって、両者をリング中央に呼び寄せて、それから別れてコーナーに戻って、振り返った2人が対峙して開始のゴングを待つ、あのわずか数秒が私にはたまらない時間なんです。歴代のチャンピオンをリングに上げて紹介するなんてバカなことはしません。してはいけないことです。リングはその日戦う選手のものです。インターバルにはCMを入れますが、これもラウンド終了のたびに入れる必要はありません。入れるか入れないか、その決定権は、的場さん、あなたにあります」


「どういうことですか」


「インターバルの様子を見たい、あるいは白熱したラウンドの余韻にひたりたい、そういうことってありませんでしたか」


「まあ、それはそうですが、スポンサーあってのテレビですから」


「ですから頭の1時間にCMを集めます。仮にKO決着で早く終れば、スポンサーの注文以上のCMを入れると約束しています。時間の穴埋めで流すフルラウンドのリプレイなんて必要ありません。誰が見ますか。あんなことをやるから白けていくんですよ。ハイライトで充分です」


「まあ、仰るとおりなんですが」


「陽の目をみないことを覚悟で、過去の試合のハイライトシーンの編集も進めています。残り時間に応じて、何種類も作ります。これは視聴者のためでなく、スポンサーに対しての、われわれの誠意のつもりです。時間が許せば、具志堅が世界を奪る前のゴメス・キー戦なんかも流そうと考えています」


「ラウンドの合間のCMカットは大丈夫なんですか」


「話はついています。とはいえ、度を越さず、ほどほどのところでお願いしたいのが本音なんですが」


「普通じゃ考えられないことですね」


「どうですか。ぜひとも協力願います。明日あらためて会見をひらきます。ファイトマネーは双方1億7千万です。これでビジネスとして成り立ちます」


◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 帰途についた的場は金子の言葉を反芻していた。2局同時放送、安直な正義、人生教師になるなかれ、生の声、採点公表、CMカット…


 大宮駅から徒歩で家路につく途中、的場はついぞ見上げぬ夜空を仰いだ。


 誰かが凧をあげている、そう言った。名前は忘れたが、いくつかの星があった。女房になんと言ってきりだそうか。どんな顔をするだろうか。お父さん頑張って、と喜んでくれるだろうか。


 玄関を入ってただいまを言うと、食事の仕度はしてあったが、妻はとうに寝息をたてていた。


 → つづく


2021.01.02

※初出:2003.10.02

design & illustration : S. Ando, Ando design office


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